2009年1月26日月曜日

サンパウロC級グルメ探訪


ピニェイロスの牛ハツ

ピニェイロスのブリガデイロ・ファリア・リマ通りとその周辺からエンブなど西部方面への郊外バスが発着している。鉄道路線網が充分発達していないサンパウロでは、これらのバスがサンパウロ市近郊に住む人々にとって重要な通勤の足になっている。

西部への近・中距離を結ぶ交通のターミナルという点では、ピニェイロスは東京でいうとさながら池袋といったところであろうか。とはいえ、その景観は巨大なターミナルビルと高層ビルが林立する現在の池袋と並び称するわけにはいかない。焼け跡のように平べったく広がるリマ通りにある、ターミナルというにはくちはばったい、母屋のない吹きさらしのバス乗り場から周囲を見渡すと、みすぼらしい屋台が岸壁にへばりつくカラス貝のごとく歩道にひしめいており、その光景は、実際に見たわけではないけれど、今から半世紀以上前の終戦まもない池袋の街にオーバーラップしてしまう。

このような煤けた街で必ずお目にかかれるのが一筋の立ち昇る煙、そう、串焼肉(エスペチーニョ)の屋台である。帰宅する通勤客で混み合う街区のあちらこちらで、人々の頭越しに煙が立っている。仕事を終え空腹を引きずる身体にとって、炭火で焼かれた肉の香ばしい匂いはさぞかし鼻腔をくすぐるのだろう。夕刻にはどの屋台にも数名の人だかりがある。

私もその人だかりに加わるひとりである。数あるピニェイロスの串焼肉の屋台の中で、私の行く店は決まっている。バイーア州出身のルイの屋台である。彼が焼く串肉のなかに、ブラジルでは珍しい牛の心臓―ハツがあるからだ。

もっとも彼に聞いた話しでは、彼は仲間と一緒に牛ハツを購入し捌き分けるようだ。だからこの界隈には他にも牛ハツを扱っている屋台があるらしい。それでも私が必ずここを訪れるのは、ルイの人柄が気に入っているからだ。

紺碧の海に燦燦と輝く太陽のように彼の性格は明るく、人なつっこい笑みをたたえながら、口を開くと冗談がさざ波のようにこぼれる。彼を慕う人間達、その多くはバイーア出身者であるが、人の良いルイをからかいつつ、彼の串焼き肉を頬張る。

あるとき酒が入り気の大きくなった私は、通りがかりの物乞いの老婆が串肉をねだるのを見て、彼女に串焼きを奢る気になった。彼女に串焼きを渡すよう彼に命じたのだが、彼はちょっと困った顔になって、それでも彼女に串焼きを渡した。

老婆はむしゃむしゃと食べ始めたのだが、まもなく串から口を離し、突然ルイや私に向かってののしり始めた。いったい何が起こったのかと私は面食らったが、彼女の挙動から、すぐに彼女が正気ではないことを悟った。彼女は誰彼となく見境なく吼えるように悪態をついて、一向に立ち去らない。温厚なルイもさすがに手を焼いて、彼女を叱り、追っ払った。

私の指示に彼が困った顔になったのも当然であった。あの場合、かかわり合いにならずにやり過ごすに越したことはなかった。下手にかかわると疫病神を引き入れることになる。

屋台で販売する1日の間、さまざまな人間が訪れる。なかにはたちの悪い連中もおり、そのような連中をうまくあしらう術を身に付けなければ商売に差し障る。屋台を営業するのは簡単なように見えて、けっこう大変だ。

もっともルイはすぐに明るいいつもの態度に戻り、快活な調子で冗談を言い、私はそんな冗談のほとんどが理解できないながらも、温かい彼の人柄によって、心の凝りがほぐれていくような気分になってピンガの杯を重ねた。

勘定をする時分には、申告する串焼きの本数があやふやになるほど酒が回っており、老婆にあげた串焼きの分を勘定し忘れたのに気付いたのは、翌朝ベッドで目を覚ました際のことであった。


メニュー
・ 牛肉
・ 牛ハツ
・ リングイッサ
・ 鶏肉
全て1.5レアル


場所 

Rua Martim Carrasco 

Largo dos Pinheirosの近く

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